第49話   名人、名釣師   平成15年10月17日  

「魚を誰より多く釣りたい、釣ってみたい。誰よりも大きいのを釣りたい。」と云うのが釣師の本能であると思っている。又其の事が、釣師の技量の向上に繋がり、経験と勘を養いやがて名人の道が開けるのだと考えている。ただ、誰もが名人になれる訳ではない。

名竿や高級な竿を持てば、誰にでも釣れると云う訳でもないから釣りは面白い。釣りが面白いのは、上手下手の別があってもたまたま条件さえ合えば釣れる事である。

釣に対する思いの大小によりどのレベルに達するかが、その人の努力と器量により決まって来る。ただ好きだけでは名人、名釣師にはなれない。

釣師を大別すれば量を求める者(数釣派)、大きさだけを求める者(大物派)、技巧に走る者(技巧派)等様々であるが、それらは誰もが一度は経験する段階のひとつでもある。そして最終的に其の中のどれかに属して行くようだ。それら一つ一つの段階を如何に早く脱皮して次の段階に行けるかが、その人の努力と器量にかかって来るのである。

釣り人も千差万別である。途中の段階で立ち止まってしまう人達の方が多い中、一地方の名人だけでなく全国に認められている名人たちは、何かそこはかとなく風格さえ感じられるから不思議である。

釣の極意とは「魚を良く知る事」である。兵法の極意に「敵を知り、己を知る」と云う言葉がある。釣の名人は魚の生態を良く知り天候を見て潮を読み今日の魚の居場所を把握出来て、さらに初めての場所でも自分の技量を思う存分発揮出来る者達である。その人たちは意識しなくともそれらを自然に出来る。誰も釣れない時にでも目的の魚を釣上げる事の出来る技を持ち「釣れた魚を大事に、楽しむことが出来る」心を持ち合わせている。それ等の人達を私達凡人は名人とか名釣師等と呼んでいる。